
【飛鳥時代の改革者】天武天皇とは?壬申の乱と律令国家への道
基本情報
項目 | 内容 |
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諱(いみな) | 大海人皇子(おおあまのおうじ) |
生没年 | 不詳(推定631年頃)~ 686年10月1日(天武15年9月9日) |
在位期間 | 673年2月27日 ~ 686年10月1日 |
父 | 舒明天皇(第34代) |
母 | 皇極天皇(第35代・37代) |
皇后 | 鵜野讃良皇女(後の持統天皇) |
主な子女 | 草壁皇子、高市皇子、舎人皇子、長皇子 など |
即位のきっかけ:「壬申の乱」
672年、兄・天智天皇の崩御後、後継者争いが勃発します。天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と、弟の大海人皇子が対立。
大海人皇子は吉野に退きながら挙兵し、全国各地で戦闘を繰り広げた末に大友皇子に勝利。
翌年、正式に即位して「天武天皇」となりました。
主な業績
1. 中央集権体制の確立
- 天皇を中心とした政治体制を構築
- 豪族の権力を抑え、「公地公民制」を再整備
2. 法制度・戸籍制度の整備
- 日本初の本格的律令「飛鳥浄御原令」を制定(持統朝に施行)
◆ 飛鳥浄御原令とは?
- 制定者:天武天皇
- 施行者:持統天皇(文武天皇の即位後に施行されたとも)
- 制定時期:681年頃に起草開始
- 施行時期:689年(持統天皇3年)頃とされる(※諸説あり)
- 成立背景:
- 壬申の乱後、天武天皇は中央集権化を進めるため、国家の統治機構や身分秩序、税制度などを法制化する必要があった。
◆ 内容の特徴
飛鳥浄御原令は現存していないため、内容は後の『大宝律令』(701年)との比較や記録文書から推定されています。以下は主な推定内容です。
1. 位階制度の整備
- 官僚を階級的に整理し、報酬や職務を明確化。
2. 租税制度
- 庶民に対して「租・庸・調」などの税負担義務を明文化した可能性。
3. 戸籍制度
- 天武天皇時代の684年に「庚午年籍(こうごねんじゃく)」が作られ、これに基づいた税・徴兵制度が想定される。
4. 身分制度
- 豪族・百姓・奴婢などの身分階層を法的に規定。
- 八色の姓(やくさのかばね)による貴族階級の再編とも連動。
5. 神道的色彩
- 神祇祭祀の規定や天皇の神格化を反映した条文があったと推測。
◆ 歴史的意義
観点 | 内容 |
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法制度の出発点 | 日本で初めて本格的に体系化された国家法。大宝律令の原型。 |
中央集権の実現 | 地方豪族の独自支配を排し、律令に基づく官僚統治が進む。 |
皇権強化 | 天皇による法の制定と支配の正当化(神格化との融合)。 |
◆ 施行のその後
689年、持統天皇によって実際に施行されたとされ、次のような制度が確立されたと考えられています。
- 官人登用制度(官位相当制)
- 年齢ごとの課税・兵役基準
- 女性皇族(持統天皇)のもとでも律令制度が機能する基盤
その後、701年には藤原不比等らによって**『大宝律令』**が制定され、日本の律令国家体制が完成します。
◆ 名前の由来
「飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)」は、天武天皇が政務を行った宮殿の名前。
その宮で起草されたことから、この法令も「飛鳥浄御原令」と呼ばれています。
◆ 補足:現存はしていない
飛鳥浄御原令の本文は現存しておらず、主に次のような史料からその存在が確認されています:
- 『日本書紀』
- 『続日本紀』
- 『令集解』
- 『古語拾遺』など
◆ まとめ
項目 | 内容 |
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名称 | 飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう) |
制定者 | 天武天皇 |
施行者 | 持統天皇 |
施行年 | 689年頃(持統天皇3年) |
意義 | 日本初の本格的律令法。律令国家体制の出発点 |
影響 | 大宝律令や養老律令の基礎となった |
- 戸籍の基礎となる「庚午年籍」を作成(684年)
3. 皇室制度の改革
- 「天皇(すめらみこと)」の称号を初めて公式に使用
- 皇族の序列制度「八色の姓(やくさのかばね)」を制定(684年)
「八色の姓(やくさのかばね)」とは、684年(天武天皇13年)に制定された新しい身分制度で、天皇を頂点とする貴族社会の秩序を明確にするために導入されたものです。
◆ 背景と目的
律令国家を目指す中で、天武天皇はそれまでの複雑な氏姓制度(豪族ごとのバラバラな序列)を整理・再編成し、天皇を中心とした新たな身分秩序の体系を築こうとしました。
これが「八色の姓(やくさのかばね)」です。
- 壬申の乱で勝利し即位した天武天皇が、自らに忠誠を示した者たちに新たな「姓(かばね)」を与えることで、新しい支配体制を固めたとも言えます。
◆ 八つの姓の種類と序列
八色の姓は、上から順に明確な身分序列があり、上位になるほど天皇に近い家柄・高い地位を意味しました。
序列 | 姓(かばね) | 読み方 | 意味・特徴 |
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1位 | 真人(まひと) | まひと | 皇族に準ずる最上位の姓。特に功績のあった氏族に与えられた。 |
2位 | 朝臣(あそん) | あそん | 有力豪族に与えられた上級貴族の姓。後に主流となる。 |
3位 | 宿禰(すくね) | すくね | 古くからの名門氏族に与えられた称号。 |
4位 | 忌寸(いみき) | いみき | 地方豪族や中央に仕える中級層に与えられた。 |
5位 | 道師(みちのし) | みちのし | 比較的新設の称号。意味には諸説あり。 |
6位 | 臣(おみ) | おみ | 古代氏族の有力な旧姓のひとつ。 |
7位 | 連(むらじ) | むらじ | おみと並ぶ古代豪族の称号。物部氏や中臣氏などが有名。 |
8位 | 稲置(いなぎ) | いなぎ | 地方の小豪族・下級官人に与えられた。 |
◆ 意義と影響
観点 | 内容 |
---|---|
政治的意義 | 天皇の権威に基づいて姓を授与することで、中央集権体制の確立を図る。 |
身分制度 | 豪族間の身分秩序を整理し、律令制と連動する官人登用・報酬体系の基礎を構築。 |
皇位継承と忠誠関係 | 壬申の乱後の忠誠者に新たな姓を与えることで、新体制への忠誠を再確認させた。 |
◆ その後の変化
- 「朝臣(あそん)」が主流となり、奈良時代以降は貴族のほとんどが朝臣姓を持つようになります。
- 八色の姓そのものは、大宝律令(701年)・養老律令(718年)と共に制度的に整理されていきます。
◆ まとめ
項目 | 内容 |
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制定年 | 684年(天武天皇13年) |
目的 | 天皇中心の新しい身分秩序の構築 |
内容 | 8つの姓を制定し、氏族を再編成 |
最上位 | 真人(まひと) |
中央貴族の中心 | 朝臣(あそん) |
歴史的意義 | 律令国家体制の法的・社会的基盤を形成 |
4. 文化・宗教政策
- 仏教を重視しつつ、**神道(皇祖神信仰)**も強化
- 歴史書の編纂を推進(後の『古事記』『日本書紀』へとつながる)
人物像と評価
天武天皇は、文武に優れた統率者であり、冷静な戦略家としても知られます。
豪族の力を抑え、国家の法制度と歴史編纂を推進したその手腕は、のちの律令国家形成の原点となりました。
「改革の天皇」として、日本古代国家の礎を築いた人物
崩御とその後
686年に崩御。後を継いだのは、皇后である持統天皇です。
彼女は草壁皇子への皇位継承を目指し、天武の政策を引き継ぎました。律令制の完成へと日本を導いた持統天皇の存在も、天武の政治基盤があったからこそといえるでしょう。
関連遺構・陵墓
- 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)(奈良県明日香村)
天武天皇と持統天皇が合葬されたとされる静かな場所。歴史ファンには必見の地です。
年表で見る天武天皇の生涯
年 | 出来事 |
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631年頃 | 大海人皇子として誕生 |
645年 | 乙巳の変(兄・中大兄皇子が蘇我氏を討つ) |
661年 | 母・斉明天皇の死後、天智政権下で活動 |
672年 | 壬申の乱に勝利、大友皇子を破る |
673年 | 即位、天武天皇となる |
684年 | 八色の姓を制定、庚午年籍を作成 |
686年 | 崩御(天武15年9月9日) |
補足トピック
- 和歌・万葉集:『万葉集』に天武天皇の和歌も収録。
- 日本書紀・古事記:彼の時代に歴史編纂の基礎が築かれる。
- 律令国家の起点:天武→持統→文武→元明の時代にかけて律令制が完成。
まとめ
天武天皇は、日本が「天皇を中心とする国家」へと変貌を遂げる原点に立った人物です。
彼の行った政治・法制度改革、文化政策はその後の日本史に大きな影響を与えました。
飛鳥の地に今も静かに眠るその姿を思いながら、日本の古代史における「ターニングポイント」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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