孝謙天皇(こうけんてんのう)

孝謙天皇(こうけんてんのう)

🏯 藤原仲麻呂の乱と称徳天皇の再即位

~政争と仏教が交差する奈良時代の政変~


👑 孝謙天皇とは?

項目内容
諱(いみな)阿倍内親王(あべのひめみこ)
生没年718年(養老2年)〜770年(宝亀元年)
聖武天皇(仏教政策を推進)
光明皇后(藤原不比等の娘)
在位期間① 749年〜758年(孝謙天皇)
② 764年〜770年(称徳天皇として再即位)

🧬 系譜と政治的背景

  • 聖武天皇と光明皇后の娘として誕生。
  • 日本史上、女性として初めて皇太子から即位した天皇
  • 仏教への信仰が厚く、母・光明皇后の影響も強い。
  • 2度の即位(重祚)は、非常に稀な例。

🛕 治世の主な出来事

年代出来事
749年父・聖武天皇の譲位を受けて即位(孝謙天皇)
757年養老律令を施行
758年淳仁天皇に譲位(藤原仲麻呂の影響)
764年藤原仲麻呂の乱を鎮圧し、再び即位(称徳天皇)
767年東大寺大仏の開眼供養を挙行
770年崩御。道鏡を後継にせず、光仁天皇(天智系)が即位

⚔️ 藤原仲麻呂の乱(764年)

◼ 背景

  • 仲麻呂は孝謙天皇の側近であり、太政大臣に就任。
  • 実弟・淳仁天皇を即位させたことで政権を掌握。
  • しかし、孝謙上皇と道鏡の台頭により対立が激化。

◼ 発生と経過

  • 仲麻呂は近江で挙兵するも、孝謙上皇側の軍に敗北。
  • 捕らえられ処刑され、一族も多くが処分された。

◼ 結果

項目内容
孝謙上皇称徳天皇として再即位
藤原仲麻呂敗死。一族も排除され、藤原南家が衰退
淳仁天皇廃位され淡路に流され、後に死去(廃帝)
道鏡権力を拡大し、法王にまで昇進(天皇にはなれず)
藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)
道鏡(どうきょう)

🧭 歴史的意義

  • 藤原氏の権力構造が変化。
  • 仏教勢力の台頭 → 後の桓武天皇による**政教分離政策(平安遷都)**へ。
  • 道鏡の即位を阻止した**「宇佐八幡神託事件」**も発生。
  • 女性天皇の政治主導、仏教と政治の結びつきが最高潮に。

🖼 関連人物と相関図(簡略)

コピーする編集する聖武天皇 ─┬─ 阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)
    │
    └─ 淳仁天皇(孝謙の異母弟)←藤原仲麻呂の推挙
        │
        ↓
      仲麻呂と対立
       │
称徳天皇 ⇄ 道鏡(僧侶・寵臣)
       ↓
   道鏡の即位計画(阻止:和気清麻呂)

✨ まとめ

視点ポイント
政治女帝による強権政治、政敵排除(仲麻呂)
宗教仏教が国家政治の中心に。道鏡の異例の出世
歴史的転換政教関係の揺らぎ。光仁天皇の即位で天智系へ転換


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