
👑 平安時代の礎を築いた英明な君主
項目 | 内容 |
---|---|
諱(いみな) | 山部親王(やまべしんのう) |
生年 | 737年(天平9年) |
崩御 | 806年4月9日(延暦25年3月17日)享年70歳 |
在位期間 | 781年4月3日 ~ 806年4月9日 |
父 | 光仁天皇(第49代天皇) |
母 | 高野新笠(たかののにいがさ) |
皇后 | 藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ) |
皇居 | 平安京(後半から) |
廟号 | 桓武天皇(かんむてんのう) |
年号 | 天応(てんおう)、延暦(えんりゃく) |
出自と即位
桓武天皇は、天智天皇の孫・光仁天皇の第一皇子として誕生しました。
母は渡来系氏族(百済系)の出身である**高野新笠(たかののにいがさ)**です。
即位前は**山部親王(やまべしんのう)**と呼ばれていました。
父・光仁天皇の崩御を受け、781年に皇位を継承しました。
主な業績
🏯 平安京への遷都(794年)
桓武天皇最大の功績といえば、平安京遷都です。
それまでの長岡京を離れ、794年に現在の京都市に新たな都を開きました。
遷都の理由には、
- 旧豪族勢力からの脱却
- 風水思想に基づく理想の都市設計
- 政治刷新と安定化 などが挙げられます。
平安京は、中国の長安を模した碁盤目状の都市設計を特徴とし、
その後1000年にわたり日本の政治・文化の中心地となりました。
⚔️ 蝦夷(えみし)征討
東北地方の蝦夷勢力に対して、大規模な遠征を行いました。
特に坂上田村麻呂を初代征夷大将軍に任じ、
勇将アテルイら蝦夷勢力を相手に戦い、朝廷の支配範囲を拡大しました。


📜 律令体制の再建と官僚制度改革
- **健児制(けんじせい)**の導入
→ それまでの農民兵から地方豪族子弟を兵士とする軍事改革 - **勘解由使(かげゆし)**の設置
→ 地方官(国司)の交代を厳格に監査、地方行政の腐敗を防止
これにより、中央集権体制の強化を進めました。
🛕 仏教政策
奈良時代の仏教勢力(南都六宗)に警戒を強め、
一方で、新たな仏教勢力にも門戸を開きました。
- 最澄(天台宗)
- 空海(真言宗)
両者に対し、開宗を認めたことにより、平安仏教の発展を促しました。


人物像
桓武天皇は、
- 英明で決断力に富む
- 国家事業を大規模に推進 といった特徴を持つ一方、
その分、民衆への負担も大きかったとされています。
特に平安京建設や蝦夷遠征に伴う費用負担は、
民衆の疲弊を招く結果にもつながりました。
晩年と陵墓
晩年は体調を崩しながらも政治改革に力を注ぎ、
806年、70歳で崩御しました。
陵墓は、京都市伏見区の**柏原陵(かしはらのみささぎ)**にあります。
子の平城天皇が跡を継ぎました。
🏛️ 桓武天皇の歴史的意義まとめ
✅ 平安時代の基盤を築いた
✅ 律令体制を立て直した
✅ 中央集権を推進した
✅ 日本古代国家の「完成期」を導いたリーダー
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