後宇多天皇(ごうだてんのう)

後宇多天皇(ごうだてんのう)

大覚寺統の礎を築いた人物

基本情報

項目内容
諱(いみな)世仁(よひと)親王
生没年1267年12月17日 ~ 1324年7月16日(享年58歳)
在位期間1274年1月26日 ~ 1287年11月27日
亀山天皇(第90代)
藤原幸子(大宮院)
皇后・后妃藤原基子(後深草天皇の娘)ほか
後二条天皇(第94代)、後醍醐天皇(第96代)など
院号後宇多院
皇統大覚寺統(亀山天皇の系統)
陵墓金蔵寺陵(京都市西京区)

🧬 即位の背景と皇統分裂

後宇多天皇は、父・亀山天皇の譲位により、わずか7歳で即位。しかし、当時の朝廷は実権をほぼ持たず、鎌倉幕府の影響下にありました。

この即位によって、兄系の**後深草天皇(持明院統)と、後宇多の系統(大覚寺統)による「皇統の分裂」が表面化。のちに両統迭立(りょうとうてつりつ)**と呼ばれる、二つの皇統が交互に即位する時代が始まります。


🏯 治世と譲位

後宇多天皇の治世中、**1274年に元寇(文永の役)**が勃発しましたが、幕府主導の時代だったため、天皇に実際の指導力はありませんでした。

1287年には伏見天皇(持明院統)に譲位。これは幕府が持明院統を支持したことが大きな要因です。


🪷 院政と文化活動

退位後は「後宇多院」として院政を敷き、大覚寺統の再起と皇位奪還を目指しました。

主な活動と影響:

  • 1301年、後二条天皇を擁立(大覚寺統)
  • 和歌・仏教に深い理解があり、文化保護に尽力
  • 子の後醍醐天皇に思想的影響を与え、倒幕運動にも関与
  • 『後宇多院御記』という貴重な日記を残す

⚔ 南北朝時代への布石

後宇多天皇の時代に始まった両統迭立はやがて破綻し、孫の後醍醐天皇の倒幕運動と南北朝の動乱へとつながっていきます。後宇多の院政がその流れを準備したとも言えるでしょう。


🪦 晩年と宗教活動

晩年の後宇多天皇は仏教に傾倒し、出家して仏門に入りました。1324年、京都・金蔵寺にて崩御。多数の寺院を建立し、宗教的功績も大きい人物です。

また、『徒然草』の作者として有名な**兼好法師(吉田兼好)**が後宇多に仕えていたことも、文化面の特色として注目されます。

兼好法師(けんこうほうし)

📝 まとめ

  • 幼少で即位、皇統分裂の中心人物
  • 院政で大覚寺統の再建に尽力
  • 和歌・仏教など文化振興にも積極的
  • 後醍醐天皇を通じて倒幕運動に影響
  • 南北朝時代の発端を形作った重要人物

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