伊達 朝宗(だて ともむね)

伊達家の始まりを築いた男

🛡 基本情報

項目内容
名前伊達 朝宗(だて ともむね)
通称常陸入道念西、中村太郎
活動時期鎌倉時代初期(13世紀前半)
出自藤原秀郷流工藤氏(藤原北家の支流)
主君源 頼朝
官職遠江守・下野守・常陸介など
所領常陸国伊佐荘(茨城)、下野国中村(栃木)、陸奥国伊達郡(福島)
子孫伊達氏(戦国の大名・仙台藩へ)

📜 略歴と功績

● 源頼朝との関係と奥州合戦

朝宗は源頼朝の母方の従弟にあたる関係にあり、頼朝が挙兵するとその幕下に加わります。
文治5年(1189年)の奥州合戦では、4人の息子を率いて戦陣に立ち、信夫郡・石那坂の城砦を攻め、大将・佐藤基治を生け捕るなど目覚ましい戦功を挙げました。

佐藤 基治(さとう もとはる)

● 伊達姓の由来

この戦功により、頼朝から陸奥国伊達郡(現・福島県伊達市周辺)を与えられ、朝宗はこの地名を取って「伊達」と称します。これが伊達氏の始まりです。

● 居館と信仰

伊達郡入封後は、高子岡(現・伊達市)に居館を構え、**鶴岡八幡宮を勧請して「亀岡八幡宮」**を創建。工事中に亀が現れたことからこの名が付けられたとされ、以来、伊達氏の氏神として祀られました。

● 所領分割と家系継承

常陸国伊佐荘は長男・伊佐為宗に、下野国中村は三男・中村資綱に、そして家督は次男・伊達宗村が継ぎ、後の伊達家中興の祖・稙宗、そして政宗へと続く道筋が築かれました。


🧩 小ネタ・逸話

🏯 名門なのに“成り上がり”のルーツ?

伊達氏は後に大名として格式高い家柄となりますが、朝宗の時代はあくまで頼朝の家臣=御家人クラス。頼朝への忠義と武功で領地を得た、いわば「成り上がり」武将の一人とも言えるでしょう。

🐉 「伊達者」の語源に?

「伊達男」や「伊達者」は派手で粋な人物を指す言葉ですが、姓「伊達」はこの朝宗に由来します。後の政宗の華美な装いもあって、伊達姓はいつしか“粋”の代名詞へと昇華していきました。

👘 頼朝の側室に娘が?

朝宗の娘が**源頼朝の側室「大進局(だいしんのつぼね)」**となったとも伝わります。もし事実であれば、伊達家と源氏のつながりはより深く、政治的な意味も大きかった可能性があります。

大進局(だいしんのつぼね)

📚 家系図:伊達氏のはじまり

伊達 朝宗
├── 伊佐為宗(長男)※常陸伊佐氏
├── 伊達宗村(次男)※家督を継ぐ
├── 中村資綱(三男)※中村氏
└── 他子数名
    ↓
 (数代後)
   伊達稙宗
     ↓
   伊達晴宗
     ↓
   伊達政宗(独眼竜)

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