戸沢 盛安(とざわ もりやす

戸沢 盛安(とざわ もりやす

戦国の若き猛将「鬼九郎」―戸沢盛安の生涯と伝説

基本情報

項目内容
生没年1566年(永禄9年)~1590年(天正18年)
出身地出羽国角館(現在の秋田県仙北市)
家系戸沢氏(角館城主・戦国大名)
通称鬼九郎、夜叉九郎
官位治部大輔
主な活躍安東氏との戦い、仙北支配、小田原参陣
死因病死(小田原征伐帰途・伊勢国にて)
享年25歳

戦国末期の出羽国に、13歳で家督を継ぎ、数々の武功を挙げた若き英雄がいました。その名は――戸沢盛安(とざわ もりやす)

異名は「鬼九郎」「夜叉九郎」。敵からは畏怖され、家臣からは慕われ、秀吉からも一目置かれた存在。その生涯は短くも濃密で、今もなお多くの逸話が語り継がれています。


📜 生涯ハイライト

👶 若くして当主に

永禄9年(1566年)、角館城主・戸沢道盛の子として誕生。兄・盛重が病弱だったため、13歳で家督を継承。戸沢家第18代当主となります。

⚔️ 武勇と戦の才 ― 「鬼九郎」の由来

1582年(天正10年)、兵1,200で安東愛季軍3,000に勝利。
1586年には阿気野の合戦で敵将・小清水蔵人を一刀両断、淀川城も攻略。これにより「鬼九郎」の異名で恐れられるように。勢力は最盛期で4万4,000石に達しました。


🤝 外交センスも抜群

盛安はただの武闘派ではありません。信長に鷹や名馬を献上、豊臣秀吉に早期に臣従するなど先を読む外交感覚にも優れていました。

🏃 小田原参陣の“激走”

1590年、小田原征伐に遅れて出陣。途中、大雨で増水した大井川を提灯を掲げて泳ぎ渡るという逸話が残ります。
この忠誠に、秀吉は感動して太刀を贈ったといいます。


😢 早すぎる死と跡継ぎ

小田原城落城の直前、伊勢国で病死。わずか25歳という若さでした。
幼い嫡男・政盛の代わりに弟・光盛が一時的に家督を継承します。


💡 人間味あふれる小ネタ

  • 情け深い一面:捕虜を逃す優しさがあったとされ、「鬼」の異名とは裏腹に温かみのある人物像も残されています。
  • 財政難を乗り切る才覚:上洛資金が足りず、酒田の豪商・加賀屋与助から7両を借りて出発。
  • 角館のお祭りの起源?:現在の秋田県仙北市角館町の祭りは、盛安が京都から人形師を招いて山車を作らせたのが始まりとも言われています。

⚖️ 総評:短命ゆえの伝説

25歳でこの世を去った戸沢盛安。
しかし、彼の築いた領土、武名、そして外交センスは、戸沢家を近世大名へと導く礎となりました。

「鬼の如き武勇、仏の如き情」――そんな武将こそ戸沢盛安。

短命だったからこそ、彼の伝説は今も強く語り継がれているのです。


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