矢島満安(やしま みつやす)

矢島 満安(やしま みつやす)

戦国の怪力無双!由利の豪傑「矢島満安」の生涯と逸話

🔷 プロフィール ― 謎多き出自と由利十二頭の雄

  • 名前:矢島満安(やじま みつやす)
  • 没年:文禄2年(1593年)
  • 通称:五郎/別名:光安、大井満安
  • 家系:大井氏の末裔とされる(『由利十二頭記』による)
  • 家督:父・矢島義満の跡を継ぎ、由利十二頭の一角を担う

💪 巨漢の怪力 ― 戦国のリアル“鬼”

矢島満安はその身体的特徴から、戦国随一の怪力武将として語り継がれています。

『奥羽永慶軍記』によると──

「身長六尺九寸(約209cm)、鬚をたくわえ、熊のような風貌。五、六人分の飯を一人で平らげ、鮭の丸焼き一本も骨まで完食。酒は大器で七度傾けて飲む。」

まさに“人間兵器”のような存在。食べっぷりも飲みっぷりも、戦国時代のスケールを超えています。


🐎 豪傑の相棒 ― 八升栗毛(はっしょうくりげ)

満安の愛馬「八升栗毛」もまた、主人に負けず劣らずの逸話を持ちます。

陣貝の音を聞くと興奮し、乾草約30kg(大豆八升分)を一気に平らげたという伝説の駿馬。

この“主従”の並外れた豪快さが、当時の民の語り草になっていたことは想像に難くありません。


⚔️「仁賀保キラー」誕生 ― 宿敵との死闘30年

矢島満安の武将としての代名詞は、なんといっても仁賀保氏との抗争です。約30年にわたり十数回もの戦いを重ね、敵当主級を次々と討ち取っていきました。

主な戦歴:

  • 1575年(天正3年):滝沢政家を没落させる
  • 1576年(天正4年):仁賀保明重を討ち取る
  • 1577年(天正5年):仁賀保安重を討ち取る
  • 1586年(天正14年):仁賀保重勝を討ち取る

これらの武功から、満安は「仁賀保キラー」と恐れられる存在となりました。


🌪️ 孤立と最期 ― 戦国の波に呑まれて

時代が変わり、九戸政実の乱(1591年)を境に、最上義光・秋田実季らが由利郡へ勢力を伸ばす中で、満安は小野寺義道と手を結ぶ選択をしました。

これが結果として、最上派に転じた他の由利十二頭と対立し、孤立を深めることになります。

最期の時:

  • 文禄2年(1593年):由利諸将に攻められ自刃(または討死)
  • 戦死地説:矢島城(八森城)または西馬音内城

彼の死により、矢島氏は滅亡しました。

最上義光(もがみ よしあき)
秋田実季(あきた たねすね)

🪦 史跡と今に伝わる評価

🏯 主な史跡:

  • 矢島城(八森城)跡:秋田県由利本荘市矢島町。土塁・堀が現存
  • 高建寺(こうけんじ):満安の墓が残され、案内板も整備

📜 評価:

  • 豪勇無双の猛将」としての評価
  • 戦術にも長けた武人だが、政治的な孤立により非業の死を迎えた“悲運の英雄”

🏞️ 終わりに ― 戦国ロマンの生き証人

矢島満安は、まさに戦国時代が生んだリアルな伝説。体躯も行動もスケールが大きく、後世に語り継がれる逸話を数多く残しています。

彼の足跡は、今も秋田県由利本荘市に静かに残っています。
戦国のロマンを求めて、ぜひ一度その地を訪れてみてはいかがでしょうか。


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