
👑 聖武天皇と激動の奈良時代 ~仏教と政治に生きた天皇の軌跡~
🏯 基本情報
項目 | 内容 |
---|---|
諱(いみな) | 首皇子(おびとのみこ) |
生年 | 701年(大宝元年) |
没年 | 756年6月4日(天平勝宝8年) |
在位期間 | 724年 ~ 749年 |
父 | 文武天皇 |
母 | 藤原宮子(藤原不比等の娘) |
皇后 | 光明子(宮子の異母妹) |
皇居 | 平城京(現・奈良市) |
子 | 阿倍内親王(後の孝謙天皇) |
🧬 系譜と即位の経緯
聖武天皇は、天武天皇の曾孫であり、父・文武天皇の早世後、祖母の元明天皇・曾祖母の元正天皇を経て即位。
24歳で天皇となり、仏教とともに国を治める決意を固めました。
🛕 治世の主要トピック
🟨 ① 仏教による国家統治「鎮護国家思想」
- 「仏の力で国を守る」思想を掲げ、国分寺・国分尼寺を全国に建立(741年)。
- **743年:「大仏造立の詔」**を発布し、奈良・東大寺の大仏建立へ。
📜 発願の詔(743年)
「朕、三宝を敬い、万民と共に功徳を積み、国を安んじんと欲す」
🟨 ② 天平文化の黄金期
- 唐の影響を受けた国際色豊かな文化が開花。
- 『正倉院宝物』や建築、衣装、漢詩などが発展。
- 和歌集『万葉集』の編纂もこの時期に進行。
🟨 ③ 政治的不安と遷都の連続
- 地震・疫病・反乱が相次ぎ、都を以下のように遷都。
年 | 遷都先 |
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740年 | 平城京 → 恭仁京(山城) |
744年 | 紫香楽宮(近江) |
一時期 | 難波宮(大阪) |
🟨 ④ 初の譲位と「太上天皇(上皇)」に
- 749年、娘の阿倍内親王に譲位 → 孝謙天皇即位
- 日本史上初の女性皇太子による即位。
- 以後は仏教に専心し、信仰の道へ。
📚 聖武天皇治世の年表
年 | 出来事 |
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724年 | 即位(元正天皇より譲位) |
729年 | 🔥 長屋王の変 |
740年 | 🔥 藤原広嗣の乱 |
741年 | 国分寺・国分尼寺建立命令 |
743年 | 大仏造立の詔発布 |
744年 | 紫香楽宮遷都 |
749年 | 孝謙天皇に譲位 |
756年 | 崩御(享年56歳) |
🔥 長屋王の変(729年)
事件概要
皇族であった長屋王が、藤原氏により謀反の疑いで自害に追い込まれた事件。
項目 | 内容 |
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主人公 | 長屋王(天武天皇の孫) |
敵対勢力 | 藤原四兄弟(藤原不比等の子) |
原因 | 皇位継承を巡る政治的対立 |
結末 | 長屋王とその一族が自害 |
結果 | 藤原氏の政治的影響力が増大 |
この事件をきっかけに、藤原氏の権力が確立し、貴族主導の政争が本格化します。

🔥 藤原広嗣の乱(740年)
事件概要
失脚した藤原広嗣が、九州で反乱を起こした事件。仏教政策や災害への不満が背景に。
項目 | 内容 |
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主人公 | 藤原広嗣(藤原不比等の孫) |
場所 | 九州・大宰府 |
原因 | 政策不満・失脚への反発 |
結末 | 聖武天皇軍に敗北し、広嗣は自害 |
影響 | 政治的混乱が深まり、遷都が続発 |
聖武天皇はこの乱の後、都を転々としながら大仏建立に活路を見出していきます。

🧑🎨 聖武天皇の人物像と評価
- 信仰心の厚さ:仏教を国家運営の柱に据えた。
- 文化保護者:天平文化の発展を導いた。
- 政治苦労人:遷都や反乱に苦しむも、平和を模索。
- 家族愛の象徴:娘・孝謙天皇に譲位する初の父。
🏛 関連施設・遺産
名称 | 解説 |
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東大寺 | 国家鎮護の大仏を安置する寺院 |
正倉院 | 聖武天皇ゆかりの宝物庫(世界的文化財) |
国分寺・国分尼寺 | 全国に設置された官寺 |
聖武天皇陵 | 奈良市・佐保山南陵に所在 |
✨ まとめ
聖武天皇は、仏教による「心の統治」を理想としながら、災害と政争の中で苦悩した天皇でした。
その信仰と文化への情熱は、東大寺の大仏や正倉院宝物といった形で、現代まで残されています。
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